Connecting Dots by Steve Jobs

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2005年6月にスタンフォード大学の卒業式でアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズが行ったスピーチに出てくる言葉が、Connecting Dots です。

彼は、いろいろなことが後から顧みると、それぞれが繋がって見えると言います。大学を中退し、英語のお習字(カリグラフィー)のクラスに忍び込んだり、インドに旅行に行ったりなどなどが役に立ったと語ります。当時のPCにはフォントは1種類しかなかったのに、アップルはたくさんのフォントを揃えました。そんなこともConnecting Dots のひとつだと言うのです。

僕の人生も今から顧みると、いろいろなDotsが繋がっています。自分がかかりたいクリニックを作りたい。そんな理念で新見正則医院を立ち上げました。そこに今までの僕の人生の経験がそれぞれ繋がっています。

  • 私学の医学部に入学できましたが、国立大学の医学部を目指したく、浪人して、ゼロから世界史と国語を勉強しました。そんな教養が今に役立っています。
  • 世界を見たく、大学生の頃は、リュックひとつを背負って、予定もなく、世界を歩きました。そんな体験が新しい世界への挑戦に繋がっています。
  • 浪人時代から大学生の頃は合気道の本部道場に通っていました。武道が運動やマインドフルネスを通じて健康に有益であることを再認識しています。
  • なんでもできる医師になりたく、まず一般消化器外科医を志しました。今、セカンドオピニオンをやったり、いろいろな疾患の治療を行う上で、役に立っています。
  • そして、専門領域を決めるに当たり、食道外科を希望しましたが、クジに外れて、末梢血管外科に配属となりました。腐らず精進して、一人前の外科医になれました。血管を扱ったので診療の幅が広がりました。
  • 血管外科のレジデントの頃、心臓外科で研修を積みました。心臓の手術もやらせて頂きました。そんな心臓外科での修練の日々が循環器疾患への興味を広げました。
  • そして、一般消化器外科のレジデントの頃、慶應義塾大学の臨床病理でがんの検体を顕微鏡でたくさん診断しました。そんな経験はがんへの理解を相当深めました。
  • 永寿総合病院では泌尿器科や脳外科、そして皮膚科の手術に多数参加でき、かつ術者を経験できました。ますます、臨床の幅が広がりました。
  • 水戸赤十字病院では、地域のトップ病院として多数の外科手術に参加できました。地域のトップ医療を体験できました。
  • そして、オックスフォード大学博士課程へのお誘いがあり、直感で応募を決め、幸運にも多数の候補者から選んで頂きました。サイエンティストとしての素養を身につけるスタートでした。
  • オックスフォード大学博士課程では、なんと移植免疫学を選択しました。ほぼゼロからの免疫の勉強でしたが、5年間一度も帰国せず、懸命にサイエンティストとしての思考展開と実験のやり方を学びました。
  • 帰国後は、帝京大学第一外科で教鞭を取りました。学生に教えることは、優しく物事を説明する修練には最高でした。
  • 動脈外科は第二外科にあったため、致し方なく静脈外科をまず始めました。そして日本一の静脈外科の教室を作りました。
  • その後、血管外科として統合され、そこのトップとして永く、臨床を行いました。
  • オックスフォード大学から帰国し、静脈疾患だけでは時間を持て余したので、セカンドオピニオンを本当で始め大学病院で、そして保険医療で行いました。西洋医学の限界を痛感できました。
  • そして、漢方に興味を持ち懸命に勉強しました。漢方ができる外科医のスタートでした。
  • 漢方を諦めようかと思ったときに、生涯の人生の師匠である松田邦夫先生にお会いすることができました。そして毎週金曜日に陪席の機会を与えられ、漢方の修練を極めることができました。
  • 新興医学出版社の林社長と出会い漢方の解りやすい本を書こうと意気投合し、フローチャートシリーズやモダン・カンポウシリーズなど、30冊以上の医療書を上梓しています。
  • セカンドオピニオンのパイオニアとして、マスメディアに取り上げられました。「主治医が見つかる診療所」には初回からレギュラーとして8年間月二回、4本分の収録を経験しました。自分の姿や話し方を学びました。そして人を説得する方法を学びました。
  • その後、TBSラジオの生放送「堀尾正明+PLUS」に毎週土曜日の6時から3年間、参加しました。生放送の楽しさと辛さを体感しました。
  • 林修先生の今でしょ講座 や 世界一受けたい授業にも複数回登場しています。
  • 大学では2002年より血管外科の准教授として臨床に従事していました。
  • 大学院博士課程では、移植免疫学、東洋医学、そして血管外科の3講座の指導教授としてたくさんの大学院生を指導しました。人を育てることが益々好きになりました。たくさんの論文を書きました。
  • 50歳から金槌親爺がトライアスロンに挑戦し、52歳でオリンピックディスタンス(スイム1.5km, 自転車40km, ラン10km)を完走しました。
  • 53歳で、日本で一番長いトライアスロンである佐渡Aタイプ(スイ3.8km, 自転車190km、そしてフルマラソン42km)を完走しました。ちょっと無謀な挑戦でした。
  • 同級生のリハビリと在宅診療クリニックの産業医もやるようになりました。リハビリの理解が深まり、また在宅診療のコツもたくさん教えてもらいました。
  • 別の同級生の不妊治療のクリニックでも外来をやるようになり、若い女性の悩みや病気への理解が深まりました。また、不妊治療と免疫の関係にも興味を持つようになりました。
  • 漢方を勉強してもっともよかったことは、免疫調節作用を有する生薬に出会ったことです。その生薬は2018年に肝臓がん手術後の約1000例の大規模診療試験で明らかな抗がんエビデンスを獲得しました。そして、その生薬は新型コロナウイルスにも有効で北京市のプロトコールにも載っています。免疫低下状態であるがんや感染症に有効なのです。一方で免疫亢進状態(つまりステロイドが有効な病態)である喘息、アトピー、乾癬、IgA腎症などにも有効なのです。つまり免疫を中庸にする生薬です。この魅力を啓蒙するために「日本フアイア研究会」を立ち上げました。
  • そして、コロナショックを迎え、時代が変わる、パラダイムがシフトすると思い、いままでのDotsがすべて繋がり、僕が理想とするクリニックである新見正則医院を立ち上げることになりました。
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